小学生の頃に、消しゴムの裏側を彫刻刀で削って自分の名前のハンコを彫った記憶がある。だんだん彫るのがうまくなってきて、嬉しくていろんなところにペタペタ押していた。ハンコを押すとなぜだか少し大人になったような気がしたものだ。
- 決断の証
仕事柄、実印を押す機会に立ち会うケースが多い。昭和の終わりごろ、初めて勤務した会社の代表からは、実印を押すときは命を取られると思って押せと教わった。その言葉に時代劇の拇印で血判状を押すイメージを持ったものだ。実印はどうしても必要なものではないので大人になって作っていない人もいるが、不動産を購入して登記をする場合や、相続の遺産分割協議の時、創業時の会社設立時などには必要となる。いずれも人生の大きな決断の場面である。不思議なのは、とても大きな決断である結婚の婚姻届や離婚届の印は実印である必要はない。
- ハンコとサイン
中国や韓国でも日本ほどハンコは多用されてはいないと聞いた。そして欧米などはサイン中心であり署名文化といえるのだろう。目の前の署名や押印ではなく文書のみを交わす場合は、誰が捺印したかもしくは誰が署名したのかはわからない。しかし百円ショプで自由に買えるハンコよりも、そっくりに書かなくてはいけない署名の方が信頼できそうだ。「三文判でもいいですよ」なんて言われるとすごく気軽に押せそうな気分になるが、そうではないのである。実印は第三者の役所が登録を証明したハンコというだけであり、いわゆる認印・三文判とその効力に大差はない。
- ハンコ文化の消滅へ
現在はハンコを押す機会が減少してきた。ネット社会となりサインや押印はパスワード入力へと変わってきた。デジタル庁ができて、いよいよ1万5千件の役所関連書類への押印が不要になると報道されている。今後様々な契約書への押印など民間取引はどうなるのだろうか?企業間の取引は電子契約などが急速に普及していくかもしれないが、個人ではまだまだハンコかサインのハイブリッド的な感じで残るように思う。
さらにその後は、大きな決断の「記念のしるし」みたいな感じでハンコ文化が残るのでは・・・